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この記事の投稿者JAGA
帯広百年記念館の学芸員 大和田努さんに帯広の街の成り立ちについてお話を伺いました。
2014年度の紀要33号に、郷土史研究家の酒井孝幸さんが執筆した、明治~昭和にかけての史料を読み解き、依田勉三率いる晩成社の土地は具体的にはどの辺りにあったかを明らかにした論文が載っているんですって。
聞いてびっくり、農場のひとつ「帯広農場」は北は現在の発祥の地公園のあたりまで、南は今の南6丁目ぐらいまで。そして東は札内川の辺りまで、西は大通り付近まであったそうです。僕が思っていたより広いんですね。。。
そして離れた所では、
南だと今の麦音の辺りにあった「上売買農場」、東の帯広市保健福祉センターから南方面にも「下売買農場」があったそうです。
さまざまな資料から、依田勉三や晩成社についてさらに何かがわかるかもしれませんね。
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